カテゴリー:名言

「7つの習慣」で有名なスティーブン・R・コヴィーは、植物になぞらえた名言を数多く遺しています。

 

 

その一つが以下の言葉

 

根を変えなければ、果実を変えることはできない

 

日常生活において、人を見る時、その人の根っ子を観ようとする人は少ないでしょう。ほんとどの場合、表面的なことで人を評価してしまいがちです。

 

自己啓発の大きなテーマの一つに「自分を変えること」があります。

 

自分を変えようとする時、まず、自分の根っ子から変えてゆこうとする人も、まずいないでしょう。

 

ただ、成功とか、目標達成とかいうことを、本当の意味で成し遂げるためには、根を変えないことには、どうにもならないというのは真実です。

 

では、私自身はというと、根の部分はどうか。それを考えると、怖いですね。長いこと意識しないうちに、自分の根が腐ってしまってはいないか、それが不安だというのが正直な気持ちです。

 

ただ、ハッキリ言えるのは、根が完全に腐っていれば、私は死んでいるはずであり、生きているということは、根は完全には腐りきっていないということ。

 

ですから、今の私にできるのは、青空を見つめ、まぶしい陽光を浴び、澄んだ空気を思い切り吸う、そのことだけ。

 

スティーブン・R・コヴィーには以下の名言もあります。

 

成長してほしい花に水を注がなければならない

 

この言葉どおり、自分自身が枯れてしまわないように、水をやり続けなければならないと思うのです。

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映画評論家の淀川長治さんが、偉大な映画監督であるチャールズ・チャップリンが「ライムライト」を撮影しているスタジオを訪れた時のこと。

 

チャップリンはリハーサルで、「ライムライト」の中の名セリフ「時は偉大なる作家である。いつも、完璧なる結末を描く」を、何度も繰り返している。ある時は、低く抑えた声で、ある時は、大きく叫ぶように……。

 

その撮影風景を見ているうちに、淀川さんは、涙をこらえられなくなってしまう。気づいたら、大声を出して泣き出していた。

 

淀川さんが泣いているのに気づいたチャップリンは、すぐに彼のところに駆け寄ってきて「なぜ、泣いているんだい」と聞いたそうです。

 

淀川さんは、チャップリンの白髪を指さしながら、自分はあなたの映画を初期のサイレントからすべて見てきていることを告げました。

 

チャップリンは、淀川さんの気持ちを悟り、強く彼をその場で抱きしめたそうです。

 

想えば、チャップリンの映画人生も、長く、波乱に満ちていた。ナチスドイツが猛威をふるっている時代に、映画「独裁者」を命がけて撮ったこともある。栄光を勝ち得たチャップリンも、また「孤独の人」なのです。

 

若い美男子だった役者・チャップリンが、今や白髪の老人となり、愛した女性が若い青年と結ばれるという運命を見送ろうとしている。その思いを、チャップリンは、以下のセリフに込めたのです。

 

Time is the great author, always writes the perfect ending.

 

撮影中のスタジオで、偉大なる映画監督であり役者であるチャールズ・チャップリンが、自分の孤独、淋しさを、淀川さんが理解してくれたことに感動しているのですね。

 

人と人との心が、これほど美しく触れ合っているケースは滅多にありません。

 

それにしても、「時は偉大な作家である。いつも完璧な結末を描く」は、素晴らしい名言ですね。

 

チャップリンの深い悲しみを読みとれるとともに、人間へのあふれんばかりの愛情と運命愛が感じられます。

 

チャップリンの名言に関する記事はこちらをお読みください⇒チャップリンの名言

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白洲次郎(しらすじろう)は、戦後日本の復興に貢献した、毅然たる日本人として、今もな賞賛されています。

 

1945年に日本は敗戦しました。日本は長崎と広島に原子爆弾を投下され、無条件降伏にまで追い込まれてしまったのです。

 

刀折れ、矢尽きた状態などという言葉では表現しきれないくらい、日本人はボロボロになっていたことは想像に難くありません。

 

問題は日本の進むべき道です。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統制下におかれ、新憲法もGHQの主導でつくられます。経済もまたGHQによる統制経済でした。

 

当時のマッカーサー元帥に対しても、物怖じしない言動をとり、GHQは「従順ならざる唯一の日本人」と白洲のことを記録したと伝えられています。

 

白洲次郎が遺した名言として印象深いのが、以下の言葉です。

 

我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない。

 

白洲は戦後に経済復興に貢献しますが、経済的な自立だけでなく、精神的な自立を強く主張したのだと思います。

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近所に巨大なTSUTAYA店があるのですが、ふとチャップリンの映画を見たくなり、探しh始めたのですが、なかなか見つかりません。やっと、2作ほど見つかったのですが、とんでもない時代になったなぁと感じたのでした。

 

まさか、チャップリンの映画が多くの人には受け入れられなくなる時代が来るとは……。

 

チャールズ・チャップリンの代表作は「街の灯」「独裁者」「ライムライト」「黄金狂時代」「殺人狂時代」「モダン・タイムス」など。もしも、まだ見ていない人がいらしたら、ぜひ鑑賞してほしいと思うのです。

 

ただ、先ほど「とんでもない時代」と言いましたが、確かに、現代は「チャップリン的な時代」ではないかもしれない、とも感じるのも確かですね。

 

と同時に、またチャップリンブームが到来するかもしれない、そんな気もするから不思議です。

 

もっとも、現代的でないのが、チャップリンの世界であり、と同時に、現代人が無意識のうちに求めているものが、チャップリンの映画にはあるようにも思われます。

 

それはともかくとして、今回は、チャンプリンの印象に残る言葉をご紹介しましょう。

 

以前にも、チャップリンの名言は取り上げたことがありますが、チャップリンは言葉の魔術師であるというテーマで、一冊本を書いてみたら、かなり面白いのではないかと思いますね。

 

⇒時は偉大な作家である。いつも完璧な結末を描く

 

⇒美しさの中には、必ず哀しみがある

 

生まれてくる時代が違えば、売れっ子のコピーライターになれたと思うくらい、言葉の使い方が巧みです。

 

今日ご紹介する言葉も、心に響く、その美しい表現に、感心せざるをえません。

 

“You'll never find a rainbow if you're looking down”

 

直訳すれば「もしも、あなたが下を見ていれば、虹を見つけることは決してないだろう」となります。

 

虹を見るためには、下を向いていてはいけない」と意訳しても良いでしょう。

 

この言葉から、ふと思い出したのが、日本最高の写真作家といわれる土門拳の名言です。

 

以前ご紹介しました「レンズキャップをはずしなさい」。良い写真を撮るにはどうしたら良いかという質問に答えた時の言葉です。

 

技術うんぬんではなく、レンズキャップをはずさないことには、ファインダーから何も見られないわけですからね。

 

というか、もう一歩踏み込んで解釈なるなら、雑念や邪心という雨戸を開いて、澄んだ心の目で被写体を見つめることから始めなさいと、土門拳は教えているともとれるわけです。

 

その意味からすると、チャップリンの上の名言は「虹を見つけるために、空を見上げることから始めてみよう」とか「虹を見たかったら、空を見上げなさい」などと、言いなおしても良いかもしれませんね。

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正直の頭に神宿る」は「しょうじきのこうべにかみやどる」と読みます。ことわざですが、使う人は少ないのではないでしょうか。

 

私自身も最近になって知りました。テレビドラマ「白い巨塔」(田宮二郎が主演したバージョン)の中で出てきたのです。

 

 

良い言葉だと直感したので、ご紹介することにしました。

 

正直な人には、必ず神のご加護がある」という意味。

 

似た言葉としては「Honesty is the best policy.(正直は最善の策)」があり、この方がしばしば使われますよね。

 

その他の類似表現には、以下のような言葉があります。 この記事の続きを読む

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吉田松陰はわずか29年しか生きていません。坂本龍馬は33歳で死んでいます。幕末に生きた人は、短命な人が多いのです。

 

吉田松陰は、江戸時代末期の志士、思想家、教育者であり、明治維新の精神的指導者として有名。

 

松下村塾を開塾。そこで久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などを教育しました。

 

吉田松陰の遺した名言を読んでいて、自分の体の中で、ざわざわと泡立ってくるものを感じました。 この記事の続きを読む

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今回は西郷隆盛(さいごうたかもり)の名言をご紹介します。

 

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

これは「西郷南洲翁遺訓」(なんしゅうおういくん)の中にある言葉です。

 

「南洲翁遺訓」は旧出羽庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたもの。

 

保守の論客である水島聡氏が「チャンネル桜」の番組でしばしば紹介されるので、西郷隆盛のこの言葉を覚えてしまいました。

 

では、以下で、この言葉が示唆することについて、少しく書いてみることにします。

 

要するに、メリット、見返り、報酬など、損得勘定だけで動く人間が増えすぎてしまった現代において、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」こそが求められているということでしょう。

 

というか、目先の利益、便利さ、効率などを追い求めてばかりいたら、心が渇ききってしまうので、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」に自分もなれたらなりたい、という願望を持った人は多いと思われます。

 

西郷隆盛がいうのは、私欲も持たず、国家のために命を懸ける人物でしょう。

 

しかし、そこまで高い次元でなくても、そもそも、私利私欲を捨て、愛するもののために命をかける人間は、美しいものなのです。

 

そういう当たり前なことを忘れ、ちまちまと、要領よく立ち回ることしかできない人間があまりにも多い。

 

本音と建て前を使い分け、危険をおかしてまで信念を貫くよりも、都合の悪いことは見て見ぬふりをする、そういう輩ばかりになったら、この世は闇ではないでしょうか。

 

思えば、私が子供の頃、テレビに出てくるヒーローで、損得勘定だけで行動している者など一人もいませんでした。

 

古き良き時代に、日本人が愛した男性像は、「無法松の一生」の富島松五郎、「柔道一代」の姿三四郎、「天保水滸伝」の平手造酒など、特異な才能を持ちながら、まったく名誉だとか、地位には縁がない、我欲を捨てた生き方をした者たちでした。

 

平成の時代、そういうロマンすら忘れはてそうになるほど、現実の功利主義にどっぷりはまってきて、その結果、デフレで貧困にあえいでいるのですから、身も蓋もありません。

 

さすがに戦後70年以上も平和に浸りきってきたので、そろそろ本当に私欲を捨て、自分の志を持ち、夢にチャレンジしようという人が増えていると最近、感じる時があります。

 

令和の時代は、私利私欲を捨て、大志を抱き、ひたむきに生きる人が主役になる、そんな気がしているのです。

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引き寄せの法則」は1人の著者が発見したというものではなく、大昔からあった誰にでも当てはまる普遍の法則です。

 

「引き寄せの法則」に通じることが、故事や諺(ことわざ)の中にも発見できるのは、そのことの証明だと言えます。

 

故事や諺(ことわざ)から「引き寄せの法則」をわかりやすく理解できることについては、こちらの記事で語りましたので、ご覧ください。

 

故事・諺(ことわざ)で「引き寄せの法則」をわかりやすく理解する方法。

 

また、歴史上にのこる偉人たちもまた「引き寄せの法則」に類似する名言を遺していますのです。

 

今回は偉人たちが語った「引き寄せの法則」をご紹介しましょう。

 

ヘレン・ケラー

 

希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成熟するものではない。

 

アイザック・ニュートン

 

成功に必要なことをあえて一つ述べるとすれば、それは、「つねに願望や目標について考えることだ」と言うことに尽きると思います。なぜなら、私たちの人生は私たちの「思考」でつくられているからです。

 

アインシュタイン

 

想像力がすべてだ。それは人生でこれから引き寄せるものの予告編なのだ。

 

ジョセフ・マーフィー

 

幸福のことを考えれば幸福になる。

みじめなことを考えればみじめになる。

恐ろしいことを考えればおそろしくなる。

病気のことを考えれば病気になってしまう。

失敗のことを考えれば失敗する。

 

アンドリュー・カーネギー

 

悪いことを考えながら良い結果を期待することはできない。いいことを考えて悪い結果を得ることはできない。

 

ナポレオン・ヒル

 

思考は現実化する。

 

いかがでしょうか。「引き寄せの法則」という言葉は使っていませんが、それに通じることを語っていますよね。

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アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835年11月25日 - 1919年8月11日)は、アメリカの実業家であり、慈善家としても有名。

 

カーネギー鉄鋼会社を創業し、成功を収め「鋼鉄王」と呼ばれました。一方、教育や文化の分野に多額の寄付をしたことも広く知られ、生涯で寄付した金額は3億5069万ドルに達したと言われています。

 

自己啓発というと必ず名前があがるナポレオン・ヒルに、自身の成功哲学に基づく成功プログラムの開発を発注したことも有名です。

 

裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ」というカーネギーの言葉を、拝金主義が今もなおまかり通る日本 で、実践している実業家は何人いるでしょうか。

 

カーネギーは、富を得た人ですが、人間はお金だけでは幸福になれないということを知りぬいていた人だと思います。

 

カーネギーは、このような言葉も遺しています。

 

世の中の人は誰でも幸せになりたいと思っている。それを手に入れる方法が一つある。それは自分の気持ちの持ち方を変えることだ。

 

この言葉は、人は大金を手に入れたからといって必ずしも幸せになるとはかぎらない。また、巨額の富を得なくても、幸せになれることを教えてくれています。

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心理学者のアルフレッド・アドラー(1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、数々の名言を残しています。

 

今日ご紹介する言葉も、歴史に残る名言として、また実人生において役立つ名言として、多くの人たちに支持されているのです。

 

さっそく、その名言中の名言を、引用してみましょう。

 

「信用」するのではなく「信頼」するのだ。「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。

 

「信用」と「信頼」を区別することで、パッと目の前が明るくなった気がしました。

 

人生の途上で壁に当たって打ちひしがれている時、多くの場合、人を信じられいことが自分を苦しめている……そういう場合が多いのではないでしょうか。

 

人間関係においては、誰もが臆病です。だからリスクを負いたくありません。自分へのダメージを最小限にとどめようと人は懸命に工作してしまう。

 

人生に確かな手ごたえを感じ、歓びあふれる日々を送ろうと思ったら、人を信じることが不可欠です。

 

しかし、疑念や打算があったら、人を信じることはできません。

 

アドラーの名言は極めて重要な示唆を与えてくれます。

 

「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。

 

条件をつけてしまったら、真の信頼は生まれないわけです。

 

無条件に信じるからこそ、素晴らしいのであり、生きる歓びが感じられるのであり、明日へのパワーが湧いてくる。

 

アドラーは、処世術や人生テクニックを教えているのではないと思います。

 

無条件に人を信じることは、人間に本来備わっている美質であるけれども、多くの人は無意識のうちにその美質を自らのうちに閉じ込めてしまっている。

 

美質は、手放しで開放しないと、人生はもったいないことになってしまう。

 

真っ青の空が美しいと感じるように、春先の若葉を見て嬉しくなるように、理由や意味などと関係なく、夢中で人を愛し、信じてしまう心こそが尊いのだ、とアドラーは主張しているのではないでしょうか。

 

条件付きで人と付き合うのでは、大した意味を持ちえない。この人と一生付き合いたいと思ったら、無条件で信頼すること以外に道はないのです。

 

また、無条件で信じられる、そういう人こそを大事にすべきなのでしょう。

 

他のアドラーの名言は、機会を改めてご紹介いたしますので、どうぞご期待ください。

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