数年前までは、風花未来は「自分らしさを、伸ばしましょう」というふうなことを語っていました。

 

ところが、もう、そういう悠長なことを言っている状況ではなくなっています。

 

自分という存在が、この世にあり続けるか、消え去るか。もっと短く言うなら、消えるか、消えないか、そういうギリギリの時代になってゆく気がしてなりません。

 

例えば、私たちは毎日、かなりの時間、スマホを見ていますよね。

 

実は、スマホを見ている時間は、自分が消えているのです。あるいは「消されている」と言った方が的確かもしれません。

 

スマホから得る情報は、一次情報ではありません。つまり、自分で取材したことでもなければ、自分自身が体験したことでもなりことを、ただ一方的に享受させられているのですね。

 

こういう時間が長くなればなるほど、自分という存在は希薄になってゆきます。

 

では、自分が消されていない、消えていない状態とは、いかなる状態を指すのでしょうか。

 

簡単です。

 

丘に登り、空を見上げて、流れる雲をじっと眺めていればいい。

 

この時は、世界と自分自身が直接つながっているので、自分自身を感じることができます。

 

しかし、現代社会は、そいういう、いわば「何もしていない時間」を限りなくゼロにしようと、人々を追い込んでいるのです。

 

自分らしくあるためには、社会は自分をほったらかしにしておいてくれるのが一番良いのです。

 

ところが、現実は真逆。

 

社会は次々とこちらに向かって、情報を送り込んでくる。スマホという携帯端末を持たされているために、どこへ逃げても、情報に追い掛け回されてしまうのです。

 

疲れた目を休めたいと思っていても、スマホを見ることはすでに習慣を超えて、中毒になっているので、目の痛みに耐えながら、スマホをのぞき込み続けている始末。

 

自分探しとか、自己実現とかいう言葉がはやった時代がありました。

 

今思うと、そういう時代は「のどか」でしたね。

 

今はもう、自分を探したり、本当の自分になろうとすることさえ、奪い取られ、人らしさ、自分らしさを消されたまま、ただ、月額の通信料を絞りとられているだけだと言ったら言い過ぎでしょうか。

 

こういう負の連鎖に追い打ちをかけようとしているのが、5G、IoT、AIなどの急速な普及です。

 

先日私は「緊急避難宣言」をしましたが、以上の理由からにほかなりません。