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明けましておめでとうございます。風花未来でございます。本年も、どうか、よろしくお願いいたします。
●年頭の風花未来の思い
年頭の風花未来の思いですが、以下のページにて配信いたしましたので、お読みいただけたら幸いです。
●茨の道を希望の道に
年明け早々に、私のツイッターにアクセスできませんでした。
最近、ツイッターアカウントの乗っ取りがひんぱんに行われており、ひどいことになるかもと直感したのですが、何とか、今はアクセスできています。
風花未来のツイッター
明日にでも動画で取り上げたいのですが、この映画、日本人として、一度は見ておくべき傑作です。
日本にはかつてこういう日があったことを、私たちは深く体感するように知っておいたほうがいいと思うのです。
他のバージョンもありますが、岡本喜八の監督作品がおすすめ…https://t.co/fOQcwJ4RlV
— 風花 未来(かざはな みらい) (@kazahana_mirai) January 3, 2023
それと、私のYouTubeが、かなりきつくなってきました。
テーマによっては、ほとんど表示されません。
いつ、削除されてもおかしくない、そういう状況が近づいているようです。
インターネット上で本当のことが言えなくなる、これは、まさに、茨の道ですね。
私はここ15年以上、ずっと現役のブロガーであり、インターネット以外の仕事はやったことがありません。
今さら、転職は無理だと思うのですが、まあ、何とかなるだろうと、持前の能天気ぶりを発揮しつつ、これからは、風花らしコンテンツを地道に粘りづよく配信してまいります。
今年最初の動画は「立原道造」という詩人の作品を取り上げました。
もちろん、風花のテーマは「詩」だけではありませんが、もっともっと、詩の素晴らしさ、大切さをお伝えしてゆきたいです。
●今はまるで戦中ですね。
言論活動は、厳しく検閲されるようなっていますので、その状況下でも、心折れることなく、風花らしい、言葉を発してまいる所存です。
人が人らしく、自分が自分らしく生きられる、そんな社会をかなえるために、明るく、前向きに、語って行きますので、これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。
●まどか大学は?
では、風花まどか大学で食べてゆけるかというと、その可能性は、ほぼありません(苦笑)。
というか、そもそも、「まどか」でお金儲け的なビジネスをしようという気は、全くありません。
ただ、私自身がそうであったように、「まどか」を暮らしに取り入れると、「生きやすくなる」ことは間違いありませんので、それを何としてもお伝えしたい。
今後は、多くの人に「まどか」を体感していただくために、できるかぎり、低価格でわかりやすい配信をしてまいります。
●「まどか」と「まどか学」の違いは?
実は「まどか」と「まどか学」は異なります。
それを説明すると長くなりますが、要するに「まどか」をより良く、楽しく理解いただき、風花未来以外の人に「まどか」の魅力を語っていただくために「まどか学」を立ち上げました。
風花未来の力だけでは、広がってゆきません。
10年前ならば、若い社員を雇い、会社を設立して、やっていたでしょう。
しかし、今の私には資金力が全くなく、若い人たちと会社を切り回す、気力と意欲がわいてきません。
現代という困難な時代を生きぬくためには、どうしても必要な「まどか」を充分に広げる力が、風花には足りないのです。
ですから「まどか」を直感でとらえるのではなく、学問として、わかりやすく理解いただけるように、「まどか学」を起こしました。
当然、「まどか学」そのものを最大限に、楽しく、面白くする努力を継続してまいります。
今年の12月末まで、精一杯、語ってまいりますので、入学してくださらなくとも、まどか大学を横に広げるなど、どういう形でもかまいませんので、応援していただけたら幸いです。
まどか大学の詳細はこちらに↓
明日から、新学期が始まりますので、今から、準備作業にかかります(汗)。
気づいてみたら、年末になっていた、それくらいの速度で今年も進むのでしょうか。
ともあれ、どうか、今年一年をお互いに、素晴らしい年にしてまいりましょう♪
それでは、元気に、またお逢いしましょう。
2023年という年がついに明けました。
明けましておめでとうございます。
今年は、風花未来にとって勝負の年となる、という言い方さえて当てはまらないほど、風花の人生全体をかけた一年となることは間違いありません。
去年の暮れから「風花まどか大学」を始めまして、私自身の中に、というより、私の奥で何かが静かに燃えているのがわかるのです。
今年の12月まで「まどか大学」は続きます。
正直は、「不安」はあります。風花の頭の中には、すでに設計図はできており、それを言語化、つまり、言葉に変えて発してゆけば良いのです。
しかし、「不安」はあるのです。それは「心のざわめき」「胸騒ぎ」と呼んでもいいでしょう。
何か得たいの知れないものを、突き貫けなければ「まどか学」は、決して完成しないと、私自身、察知しているから、心が泡立つのです。
何をもって突き抜けるのか?
私の言語表現術か、私の肉体か、私の魂か、それとも、それらとも異なる神秘的な光、未知なる炎のゆらめきとともに突き貫けなけらばいけないのか……それが判然としません。
ある「力」によって、私は最後の壁を突き貫けねばならないのですが、その「力」の正体がわからないから、心がざわめく、細胞が泡立つのです。
この「胸騒ぎ」は「期待」でもあり、それは「希望」につながっている、とも直感しています。
何だか、よくわからないし、眼にも見えないけれど、その壁の突破は「奇跡」に近いことなのかもしれないけれど、自信はあるのです。
自信の意味は、成功確率が高いことではありません。
「突き貫け」てやろうという、意気込みが胸中より湧き出でてきて、自分自身でも頼もしいのです。
元旦、窓を開けると、真っ蒼な空が見えました。
幼い頃に見た、どこまでも透き通っている、自分を吸い込んで浄化してくれそうな蒼空に、私は震えたのです。
少年の時、蒼天を見つめたまま、私は昇天しそうなほどの不思議な力を感じていました。
しかし、その時、少年の風花は昇天しなかった。では、今度は……
元旦の蒼空を見つめつつ、初めて私は悟りました。
私は今年一年かけて「突き貫け」ようとしている、それは「本当の自分に成ること」であると。
風花未来は風花未来である。だから、「本当の自分」は、今も自分の中にいるに違いない。
だから「本当の自分」を、見い出せないわけがない。「成りたかった自分」に、成れないはずはない。
「本当の自分になる」ことは、自分のためではない。もっと大きな光のためだ。
ある壁を突き抜け、「本当の自分」にならなければ、私が主張する「まどか学」は私という個人を超えて、多くの人の力になり、広がってゆくことはない、とも確信しています。
独りよがり、自己満足では、意味がない。自分を超えた、もっと大きな光(力)を発するために、最後の壁を破り、本当の自分を見つけ、自分になりきらねばなりません。
今の風花にとって、成功とは結果ではない、精一杯、挑むことです。
気配は感じているのに、まだ眼に見えないから、胸のザワザワは消えないけれど、「本当の自分」の前にある壁を、私のすべてをかけて必ず「突き貫け」てみせると、元旦の蒼天を見つめながら誓いました。
今の風花未来は、自分でも驚くほど、すがすがしく、晴れやかな気持ちでいるのです。
透き通るような蒼天、その先にあるものは……