2023年という年がついに明けました。
明けましておめでとうございます。
今年は、風花未来にとって勝負の年となる、という言い方さえて当てはまらないほど、風花の人生全体をかけた一年となることは間違いありません。
去年の暮れから「風花まどか大学」を始めまして、私自身の中に、というより、私の奥で何かが静かに燃えているのがわかるのです。
今年の12月まで「まどか大学」は続きます。
正直は、「不安」はあります。風花の頭の中には、すでに設計図はできており、それを言語化、つまり、言葉に変えて発してゆけば良いのです。
しかし、「不安」はあるのです。それは「心のざわめき」「胸騒ぎ」と呼んでもいいでしょう。
何か得たいの知れないものを、突き貫けなければ「まどか学」は、決して完成しないと、私自身、察知しているから、心が泡立つのです。
何をもって突き抜けるのか?
私の言語表現術か、私の肉体か、私の魂か、それとも、それらとも異なる神秘的な光、未知なる炎のゆらめきとともに突き貫けなけらばいけないのか……それが判然としません。
ある「力」によって、私は最後の壁を突き貫けねばならないのですが、その「力」の正体がわからないから、心がざわめく、細胞が泡立つのです。
この「胸騒ぎ」は「期待」でもあり、それは「希望」につながっている、とも直感しています。
何だか、よくわからないし、眼にも見えないけれど、その壁の突破は「奇跡」に近いことなのかもしれないけれど、自信はあるのです。
自信の意味は、成功確率が高いことではありません。
「突き貫け」てやろうという、意気込みが胸中より湧き出でてきて、自分自身でも頼もしいのです。
元旦、窓を開けると、真っ蒼な空が見えました。
幼い頃に見た、どこまでも透き通っている、自分を吸い込んで浄化してくれそうな蒼空に、私は震えたのです。
少年の時、蒼天を見つめたまま、私は昇天しそうなほどの不思議な力を感じていました。
しかし、その時、少年の風花は昇天しなかった。では、今度は……
元旦の蒼空を見つめつつ、初めて私は悟りました。
私は今年一年かけて「突き貫け」ようとしている、それは「本当の自分に成ること」であると。
風花未来は風花未来である。だから、「本当の自分」は、今も自分の中にいるに違いない。
だから「本当の自分」を、見い出せないわけがない。「成りたかった自分」に、成れないはずはない。
「本当の自分になる」ことは、自分のためではない。もっと大きな光のためだ。
ある壁を突き抜け、「本当の自分」にならなければ、私が主張する「まどか学」は私という個人を超えて、多くの人の力になり、広がってゆくことはない、とも確信しています。
独りよがり、自己満足では、意味がない。自分を超えた、もっと大きな光(力)を発するために、最後の壁を破り、本当の自分を見つけ、自分になりきらねばなりません。
今の風花にとって、成功とは結果ではない、精一杯、挑むことです。
気配は感じているのに、まだ眼に見えないから、胸のザワザワは消えないけれど、「本当の自分」の前にある壁を、私のすべてをかけて必ず「突き貫け」てみせると、元旦の蒼天を見つめながら誓いました。
今の風花未来は、自分でも驚くほど、すがすがしく、晴れやかな気持ちでいるのです。
透き通るような蒼天、その先にあるものは……