現在、風花塾12期の真っ最中です。

 

今期は、久しぶりに本格的なスカイプ相談を復活させまして、実に濃い対話をさせていただいております。

 

その中で、以下のようなご質問を何回か受けましたので、取り上げてみることにしました。

わたしは、才能がありますか?

 

こういう質問に対し、これまでなかなか即答ができなかったのです(汗)。

 

以前、ある推理小説家のセミナーを受けたことがありまして、その作家先生も、同じような質問をしばしば受けることがあると嘆いていました。

 

その推理小説家、自分に才能があるかどうか質問する人は「あなたは才能があるから高い確率で作家になれますよ」と太鼓判を押してほしいと願っているのではないか、と語りました。それが、強く印象に残っております。

 

風花流に言い換えますと、こうなります。

 

多くの人は、少なからず自分には才能があると信じていて、そのことを他人から指摘してほしいと希っている

 

●天才とは何か?

 

もっと極端に言いますと「あなたは天才だ。だから絶対に成功する」と言ってもらいたい人が実に多いのです。

 

期待がふくらむ反面、不安もあるでしょうし、背中を押してほしい気持ちもよくわかりますよ。

 

でも、そういう思考の流れでは、ほとんど成功の見込みはない、と風花は断言します。

まず、「天才」とか「才能」とかいう言葉の意味を、勘違いしているのです。

 

風花未来の「天才」の定義は以下のとおり。

 

天才とは自分は天才ではないと気づいて、ひたむきに精進努力し続ける人のことを指す

 

いかがでしょうか?

 

●貴乃花親方の言葉

 

貴乃花の動画がYouTubeで流れています。それを見て、愕然としました。

 

貴乃花は各界のプリンスと呼ばれた、先代・貴乃花の子供です。

 

デビュー以来は、最年少記録を次々に塗り替え、この人こそ天才と呼ぶべき力士だと私は思っていました。

 

ところが、貴乃花自身は、以下のように述べているのです。

 

相撲の世界に入った時、これはもう死ぬ気で稽古するしかない、そうしないと生き残れないと思った

 

そして、稽古、稽古に明け暮れ、大横綱となったのでした。

 

貴乃花には確かに才能はありました。しかし、最初から天才ではなかった。

 

自分は天才ではないと知り、人一倍、稽古をし続けて、天才と呼ばれるにふさわしい人物に成長したのです。

 

では、われわれ庶民は、貴乃花のような才能もないし、命がけのトレーニングも耐えられそうにないから、今の時点で、夢など持たない方がマシと考えるべきなのでしょうか?

 

決して、そうではありません。夢も、希望も、大いに抱いて良いのです。

 

●ブログには特別な才能は要りません。

 

相撲とか、フィギュアスケートとかいう世界は「才能」がないとトップアスリートにはなれません。

 

「才能」のない人がいくら頑張っても、明らかに限界が見える世界です。

 

しかし、風花がすすめるブログワークの世界には「才能」は要りません。

 

もちろん、「天才」である必要もないのです。

 

それなのに、才能がある、天才だ、と言われたがっている人が多い。

 

どうしてか?

 

「才能があれば、あるいは天才なら、少ない努力で成功できる」と思っているからです。

ごめんなさい。

 

風花塾はもう12期もやっていますが、これまで、天才は一人もいませんよ。

 

しかし、成功者を、確実に輩出しております。

 

では、どういう人が、成功したのでしょうか?

 

それは、以下のような人です。

 

自分は天才ではないと気づいて、精進努力を惜しまなかった人

 

誤解を怖れずに申し上げます。

 

「自分は天才ではない」と一日も早く気づいてください。そして、邪心を捨てて、純粋な気持ちで稽古を始めてください。

 

稽古とは、自分を磨き上げ、成長させてゆくことです。

 

稽古とか修行とかいうと苦しいというイメージがあるかもしれません。

 

稽古(練習・修行・トレーニング・エクササイズ)には、確かに厳しい一面がありますよ。

 

でも、稽古によって、自分が成長し、強くなっていると実感できる時、すごく嬉しい気持ちなれるのです。

 

ひたむきに稽古した者だけが、真の友を得ることができます。だから、稽古が楽しくなり、深い歓びを覚えるようになるのです。

 

コツは、楽しくなるまで、稽古を続けること。

 

もう「わたしは、才能がありますか?」などと問いかけないでくださいね。

 

ピュアな気持ちで、ひとつことを続けられる、それこそが才能なのですから。